※必ず、報告その1・その2から読んでくださいm(_ _)m※
*26日続き*
父は説明等ある為、そのまま病院に残り
私と妹は母方の伯母と父方の伯母夫婦と一緒に一度自宅へ。
我が家は連日の印鑑や保険関係書類の捜索でとんでもないことに…。
誰かがくるかもしれないとのことで、とりあえず5人で掃除。
少し朝食をとってから、父から連絡がきた。
病理解剖をお願いしたが、土日は行っていないらしい。
そのため、一旦母は近くの葬儀場に行くことになった。
これから葬儀の打ち合わせをする為、
私と母方の伯母と父方の伯父と行くことに。
悲しむ暇すらないというのはこういうことか。
葬儀場は、うちの祖母が亡くなった時と同じ企業のもの。
場所は別なんだけれども…。
話を聞くも頭にはあまり入らない。それは父も多分同じ。
伯母と伯父がきてくれたことは少し助かった。
話し合いのもと、葬儀の仮日程を決める。
前のブログに書いたけれど、私は祖父母を亡くしているけれど
まだまだ大人ではなかったので、葬儀の記憶は曖昧だ。
だから、ここまで色々なことを決めなければいけないということを
初めて知った。知ることが出来てある意味よかったのかもしれないけど…。
夕方に、集まれるだけの親族で葬儀場へ。
祖父が亡くなった時からお世話になっているお寺の住職に連絡をしたところ、
亡くなったその日に行う儀式みたいなのがあるらしく、それを行ってもらった。
多分、そこにいたほとんど全員が泣いたと思う。
本当に突然で、本当に早すぎた。
*27日*
この日は特にすることもなかった。
少し落ち着いた頭で、やっぱり色々捜索。
保険関係の書類は何日か前に見つかったんだけど、
印鑑が見つからない。
…正直、何したかも何を食べたかの記憶も曖昧…(*_*)
*28日*
午前中に葬儀場から一度病院に戻った母に病理解剖が行われた。
私はそれまで家で待機。選択やら掃除やら。
妹は最後の実習日だったけど、
とてもじゃないけど笑顔でサービスをこさせそうにないとのことで
学科の先生に連絡をとってもらい、制服等を返しに行くだけいった。
昼前に父と父方の伯母が家に。
伯母は泊りがけで家の中のことを手伝ってくれた。
本当にありがたかった。
簡単な説明によれば、原因はやはり再出血だったみたいだ。
深部でおきた出血が血圧とかを管理してる脳幹の方までいってしまったみたい。
…後悔してもしかたないけど、悔やまれるよね…。
午後になってから、母帰宅。1週間ぶりの我が家。
葬儀の日程が解禁になったので、色々な人へ連絡。
1人にまわせば色々な人へとまわしてくれて、人間の繋がりって大切だと思った。
まだ1月だったから、年賀状を頼りに
母の昔の職場の人と思われる人に連絡したり。
私も私の同級生の家で母親同士が仲良くさせて頂いた家へ電話をかけた。
一軒目は、私の幼馴染みの家でそこからもう2軒に連絡してもらうはずだった。
でも留守みたいで電話に出ない。
もう一軒は、私が小学生の時にアンサンブルをやった友達の家へ。
3人でやったんだけど、たまたま家が近くてたまに食事とかしてて。
電話に出てくれた友達のお母様は当たり前だけど驚いて、
もう1人のお母様にすぐに連絡してくれて、うちにとんできてくれた。
2人とも「信じられない」「嘘でしょう」といい続けていた。
それくらい突然だった。
来てくれたお母様に、私の幼馴染みの家にも連絡してくれるよう頼んだ。
数時間後、同じように私の幼馴染みのお母様方がそろってきてくれた。
私の幼馴染みもきてくれた。
お母様方はみんな目が真っ赤だった。
その他、自治会で訃報の回覧板も回したので、
近所の方、妹の友達もきてくださった。
人の縁って物凄く大切だと感じざるを得なかった。
